知の所有権

 ブログを書いている今もこれは自分の考えなのか、単に情報を整理しているだけなのかよくわからなくなる。ネットにはあふれるほどの情報があり、真偽のほどは定かではないが、それをわかりやすくまとめたり解説してくれたりする人もいて、何もしないでも知識豊かに生活することができる社会になってきている。

 かつてインターネットが普及し始めたころは多様な質の情報が無秩序に発信されるものだから、情報を吟味検討する能力を子どもにつけないといけないと考え、教科書教材などにこうした内容を載せていた。「メディアリテラシー」はTVや新聞、書籍などの権威に騙されないように自分自身で判断することができる能力として登場し、教育の中に浸透した。

 

 「知の所有権」ということを国連では以下のように定義している。

 

 知的所有権(IP)は一般に「心の創造」に言及するものとして述べられる。それには発明、文学と芸術作品、それに商業に使われる象徴、名称、イメージが含まれる。知的所有権(IP)は特許、著作権、商標などによって法律で保護されている。こうしたことによって、イノベーターはその発明もしくは創造によって社会的に認識され、かつ金銭的な利益を得ることができる。知的所有権(IP)制度の目的は、創造性と革新性が称賛されるような環境をつくることである。毎年世界中で出願される特許、商標、工業デザインの数が増えていることに反映されるように、今日の知識集約型経済においては、知的所有権(IP)は中心的役割を果たす。

 

国連の専門機関の一つ、(World Intellectual Property Organization: WIPO)では、国際的な知の所有権をめぐる問題に対応している。

www.wipo.int

 

書籍のみならず論文に示されている思考や認識、芸術作品の中でも楽曲や映像などの著作権については確かに問題が大きい。かつて、レンタルショップが横行したり、カラオケ店などでの楽曲の使用などの問題を潜り抜けてきた日本でも、次から次へと新しい問題が生じてきている。

ユーチューブが流行る現在、映画評の動画なども明らかに著作権侵害である場合が多い。漫画などに至っては買わずに読めるサイトはいくらでもある。

 

www.businesslawyers.jp

 

こういう問題は果物の品種改良にまで及んでいる。

 

news.yahoo.co.jp

 

国内なら何とか話が付く場合もあるが、国際問題になるとなかなか決着を見ない。

 

 何か新しいものを作り出すことが難しくなってきている。物質的なものならまだしも、人間の考え方や創造性にまで対象が及ぶと、今あるものを改良したり、組み合わせを変えたりして新しいものを生み出していくほかない。どこまでが改良でどこまでが盗作かという問題はなかなか難しい問題である。

 

 特許庁はこうした動向を受けて知的財産としての認定を行っている。

 

 

news.yahoo.co.jp

 

知的財産法という法律があるのだが、それが一応我が国の基準となっている。

 

www.jpaa.or.jp

 

眼に見えないものも含まれているため、所有といっても一概に実感を持てない。私の思考や認識は私のものだと自信を持って言える人がどれほどいるだろうか。また、死んだあとその人の知的財産権はだれが守るのか。遺産相続のように誰かに譲ることができるのだろうか。

知の所有をめぐる問題は複雑化する一方で出口が見えない問題かもしれない。